ぶらしっち~夏の農家ランチ付きガイドウォーク~
今回のぶらしっちは初の遠足企画!美唄湿原に行きました!

「美唄湿原」とは、北海道農業研究センター美唄試験地に残されている小さな湿原の通称で、正式な地名ではありません。
地域の人に「泥炭試験所」として知られている試験地は、大正8年(1919)に「北海道農事試験場美唄泥炭地試験地」として開設されました。当時、このあたりは広大な「原野」(湿原)が残されていた場所で、試験地は原野の入り口につくられ、泥炭地の農地開発のため作物適否や土壌改良の研究がされていました。
戦後まで美唄市には4000haにおよぶミズゴケ湿原を中心とした未開拓の原野が残されていましたが、昭和27年(1950)には美唄市開拓5カ年計画が実行され、4000-5000年かけて形成された原始の湿原は僅かな歳月で消えてしまうことになります。美唄湿原は、原野の開拓と農地化に多大な貢献をしたと思われる試験地の片隅で、運良く開発を免れた22haほどの原野の一画ということになります。
ただ、美唄湿原も乾燥化によるササの侵入による本来の自然はほとんど失われてしまっています。
現在ミズゴケの湿原として残るのは中心部のわずか2haほどと言われています。今回、残念ながら湿原内部に立ち入ることはできませんでしたが、試験地の周囲をぐるっとまわり、原野の原風景と開拓の歴史を探りました。
実は、美唄湿原の東側には北海道の学術自然保護地区にも指定されている「上美唄湿原」という5haほどの小さな湿原があります。

上美唄湿原はすでに乾燥したササ原になっておりとても湿原とは言えないのですが、排水路に面して水が染み出してくる斜面の片隅にはミズゴケやサワギキョウなどが見られ、ここが元・湿原だったことが想像できます。

美唄湿原側にはオニユリも咲いていましたが、こちらは中国原産の外来種です。

美唄湿原の南側の防風林にもミズゴケなど湿原の痕跡が僅かに残っています。
側溝の水も泥炭地特有のコーヒー色をしています。

これはモール泉と同じフミン酸とフルボ酸などの腐植質に由来し、開拓農家はこの水を焚いてお風呂にしていたので、湯冷めがしにくかったなどと話が残っています。
美唄湿原の西側には、土水路に面して泥炭が露出しています。

ここから湿原内の水が水路に流れてしまっているため、水の流れを止める遮水シートを設置するなどの研究もされていたようです。
ここでは、農地と湿原の高低差もよくみてとれます。排水され、泥炭の分解が進んだ農地は地盤が沈下しており、湿原の中心部と比べると3m以上も差があるそうです。歩いている農道よりはるか頭上にかつての地上があったということになります。
美唄湿原の北側は、かつて泥炭地の水田研究などが行われた圃場があります。

農道脇には泥炭の中に眠っていた、数千年、数百年昔に生えていただろう巨木がごろごろと放置されていました。
今回は初の雨の中でのガイドウォークとなりましたが、その影響でいつもより早足で歩き終え、余裕を持って昼食会場へ。
いつも通り、地場産食材たっぷりの特製ランチをいただきました!

次回ぶらしっちは10月21日(日)!
宮島沼の自然の変遷と超最新の保全の取り組みをたどるガイドウォークです!

「美唄湿原」とは、北海道農業研究センター美唄試験地に残されている小さな湿原の通称で、正式な地名ではありません。
地域の人に「泥炭試験所」として知られている試験地は、大正8年(1919)に「北海道農事試験場美唄泥炭地試験地」として開設されました。当時、このあたりは広大な「原野」(湿原)が残されていた場所で、試験地は原野の入り口につくられ、泥炭地の農地開発のため作物適否や土壌改良の研究がされていました。
戦後まで美唄市には4000haにおよぶミズゴケ湿原を中心とした未開拓の原野が残されていましたが、昭和27年(1950)には美唄市開拓5カ年計画が実行され、4000-5000年かけて形成された原始の湿原は僅かな歳月で消えてしまうことになります。美唄湿原は、原野の開拓と農地化に多大な貢献をしたと思われる試験地の片隅で、運良く開発を免れた22haほどの原野の一画ということになります。
ただ、美唄湿原も乾燥化によるササの侵入による本来の自然はほとんど失われてしまっています。
現在ミズゴケの湿原として残るのは中心部のわずか2haほどと言われています。今回、残念ながら湿原内部に立ち入ることはできませんでしたが、試験地の周囲をぐるっとまわり、原野の原風景と開拓の歴史を探りました。
実は、美唄湿原の東側には北海道の学術自然保護地区にも指定されている「上美唄湿原」という5haほどの小さな湿原があります。

上美唄湿原はすでに乾燥したササ原になっておりとても湿原とは言えないのですが、排水路に面して水が染み出してくる斜面の片隅にはミズゴケやサワギキョウなどが見られ、ここが元・湿原だったことが想像できます。

美唄湿原側にはオニユリも咲いていましたが、こちらは中国原産の外来種です。

美唄湿原の南側の防風林にもミズゴケなど湿原の痕跡が僅かに残っています。
側溝の水も泥炭地特有のコーヒー色をしています。

これはモール泉と同じフミン酸とフルボ酸などの腐植質に由来し、開拓農家はこの水を焚いてお風呂にしていたので、湯冷めがしにくかったなどと話が残っています。
美唄湿原の西側には、土水路に面して泥炭が露出しています。

ここから湿原内の水が水路に流れてしまっているため、水の流れを止める遮水シートを設置するなどの研究もされていたようです。
ここでは、農地と湿原の高低差もよくみてとれます。排水され、泥炭の分解が進んだ農地は地盤が沈下しており、湿原の中心部と比べると3m以上も差があるそうです。歩いている農道よりはるか頭上にかつての地上があったということになります。
美唄湿原の北側は、かつて泥炭地の水田研究などが行われた圃場があります。

農道脇には泥炭の中に眠っていた、数千年、数百年昔に生えていただろう巨木がごろごろと放置されていました。
今回は初の雨の中でのガイドウォークとなりましたが、その影響でいつもより早足で歩き終え、余裕を持って昼食会場へ。
いつも通り、地場産食材たっぷりの特製ランチをいただきました!


次回ぶらしっちは10月21日(日)!
宮島沼の自然の変遷と超最新の保全の取り組みをたどるガイドウォークです!
【8/19】ぶらしっち~夏の農家ランチ付きガイドウォーク~
季節やテーマで吟味した、その日オリジナルのコースをスタッフがご案内。気持ちよく歩いたあとは、こめ粉食Love(地域の農家のお母さん達)が作る地場産・旬野菜たっぷりのお昼ご飯をいただきます。
今回のテーマは…「ミズゴケ湿原の開拓の歴史とイマ」!
ぶらしっち初の遠足企画として「美唄湿原」周辺を歩きます。

【 日時 】 2018年8月19日(日)10:00~14:00ごろ (集合 9:30)
【 場所 】 宮島沼水鳥・湿地センターに集合。美唄湿原まで車移動。
【 定員 】 15名(先着順)
【 申込 】 8月12日(日)までに、参加希望者のお名前、ご住所、緊急時の連絡先を、宮島沼水鳥・湿地センター(担当:牛山)まで電話(0126-66-5066)かメール(mwwcアットマークdune.ocn.ne.jp)でお知らせください。
【 参加費 】 おひとり2,300円(保険・昼食代含む)
【 持ち物 】 歩きやすい服装・靴、帽子、飲み物、汗を拭くタオルなど
※悪天候の場合は中止することがあります。あらかじめご了承ください。
<2018年 ガイドウォーク 今後の予定>
第三回 10月21日(日)10:00~14:00
第四回 2月17日(日)10:30~13:00
今回のテーマは…「ミズゴケ湿原の開拓の歴史とイマ」!
ぶらしっち初の遠足企画として「美唄湿原」周辺を歩きます。

【 日時 】 2018年8月19日(日)10:00~14:00ごろ (集合 9:30)
【 場所 】 宮島沼水鳥・湿地センターに集合。美唄湿原まで車移動。
【 定員 】 15名(先着順)
【 申込 】 8月12日(日)までに、参加希望者のお名前、ご住所、緊急時の連絡先を、宮島沼水鳥・湿地センター(担当:牛山)まで電話(0126-66-5066)かメール(mwwcアットマークdune.ocn.ne.jp)でお知らせください。
【 参加費 】 おひとり2,300円(保険・昼食代含む)
【 持ち物 】 歩きやすい服装・靴、帽子、飲み物、汗を拭くタオルなど
※悪天候の場合は中止することがあります。あらかじめご了承ください。
<2018年 ガイドウォーク 今後の予定>
第三回 10月21日(日)10:00~14:00
第四回 2月17日(日)10:30~13:00
ぶらしっち~初夏の農家ランチ付きガイドウォーク~
今年度最初のぶらしっち。
テーマは「防風林に残る石狩湿原の痕跡を探し、開拓の歴史を紐解く」でした!
今年は北海道命名150周年とのことですが、150年前の宮島沼周辺は手つかずの原野が広がっていました。
石狩川近くには氾濫によって土砂が堆積した自然堤防、樹林湿地やヨシの湿原があり、宮島沼をはさんで東側の内陸部には泥炭が厚く堆積したミズゴケの湿原があったと考えられます。
大正時代の地図を見ると、石狩川沿いの肥沃な土地から開拓され、「大富原野」と呼ばれた内陸部はまだ手つかずの状態だったことがわかります。

「大富原野」の開拓がはじまったのは戦後の昭和31年からで、草花が咲き乱れ、様々な生き物の宝庫だったであろう湿原は瞬く間に消え失せてしまいました。
今回のぶらしっちは、開拓期の原野に排水路を掘ってヤチダモなどを植栽してできた防風林の林床に、今もかろうじて残る湿原の痕跡を探しました。
なお、今回はスペシャルゲストとして美唄の植物にもっとも詳しい(!)新田紀敏さんにいらしていただき、こんな素敵な冊子を作っていただきました!

ハンドブック片手に出発です!
テーマは「防風林に残る石狩湿原の痕跡を探し、開拓の歴史を紐解く」でした!
今年は北海道命名150周年とのことですが、150年前の宮島沼周辺は手つかずの原野が広がっていました。
石狩川近くには氾濫によって土砂が堆積した自然堤防、樹林湿地やヨシの湿原があり、宮島沼をはさんで東側の内陸部には泥炭が厚く堆積したミズゴケの湿原があったと考えられます。
大正時代の地図を見ると、石狩川沿いの肥沃な土地から開拓され、「大富原野」と呼ばれた内陸部はまだ手つかずの状態だったことがわかります。

「大富原野」の開拓がはじまったのは戦後の昭和31年からで、草花が咲き乱れ、様々な生き物の宝庫だったであろう湿原は瞬く間に消え失せてしまいました。
今回のぶらしっちは、開拓期の原野に排水路を掘ってヤチダモなどを植栽してできた防風林の林床に、今もかろうじて残る湿原の痕跡を探しました。
なお、今回はスペシャルゲストとして美唄の植物にもっとも詳しい(!)新田紀敏さんにいらしていただき、こんな素敵な冊子を作っていただきました!

ハンドブック片手に出発です!
【募集】 ぶらしっち~夏の農家ランチ付きガイドウォーク(6/10)~
季節やテーマで吟味した、その日オリジナルのコースをスタッフがご案内。気持ちよく歩いたあとは、こめ粉食Love(地域の農家のお母さん達)が作る地場産・旬野菜たっぷりのお昼ご飯をいただきます。
今回のテーマは…
幻の大湿原「石狩湿原」の痕跡を探す!

【 日時 】 2018年6月10日(日)10:00~14:00ごろ (受付9:30~)
【 場所 】 宮島沼水鳥・湿地センターに集合
【 定員 】 15名(先着順)
【 申込 】 6月3日(日)までに、参加希望者のお名前、ご住所、緊急時の連絡先を、宮島沼水鳥・湿地センター(担当:牛山)まで電話(0126-66-5066)かメール(mwwcアットマークdune.ocn.ne.jp)でお知らせください。
【 参加費 】 おひとり2,300円(保険・昼食代含む)
【 持ち物 】 歩きやすい服装・靴、帽子、飲み物、汗を拭くタオルなど
※悪天候の場合は中止することがあります。あらかじめご了承ください。

<2018年 ガイドウォーク 今後の予定>
第二回 8月19日(日)10:00~14:00
第三回 10月21日(日)10:00~14:00
第四回 2月17日(日)10:30~13:00
今回のテーマは…
幻の大湿原「石狩湿原」の痕跡を探す!

【 日時 】 2018年6月10日(日)10:00~14:00ごろ (受付9:30~)
【 場所 】 宮島沼水鳥・湿地センターに集合
【 定員 】 15名(先着順)
【 申込 】 6月3日(日)までに、参加希望者のお名前、ご住所、緊急時の連絡先を、宮島沼水鳥・湿地センター(担当:牛山)まで電話(0126-66-5066)かメール(mwwcアットマークdune.ocn.ne.jp)でお知らせください。
【 参加費 】 おひとり2,300円(保険・昼食代含む)
【 持ち物 】 歩きやすい服装・靴、帽子、飲み物、汗を拭くタオルなど
※悪天候の場合は中止することがあります。あらかじめご了承ください。

<2018年 ガイドウォーク 今後の予定>
第二回 8月19日(日)10:00~14:00
第三回 10月21日(日)10:00~14:00
第四回 2月17日(日)10:30~13:00
ぶらしっち~秋の農家ランチ付きガイドウォーク(10/15)~
季節やテーマで吟味した、その日オリジナルのコースをスタッフがご案内。気持ちよく歩いたあとは、こめ粉食Love(地域の農家のお母さん達)が作る地場産・旬野菜たっぷりのランチをいただく人気企画、『ぶらしっち~秋の農家ランチ付きガイドウォーク』が開催されました。
今回のガイドウォークのテーマは…
宮島沼の原風景と歴史をたどるガイドウォーク Part3、『再発見された馬頭観音?馬と地域のかかわりを探す!』でした。
石狩湿原の開拓は、明治から昭和初期にかけての人馬を主体として開拓と、戦後の機械化された大規模な開拓に大きくわけられます。明治からの開拓は主に河川沿いの肥沃な土地(樹林湿地やヨシ群落)から徐々に進められましたが、戦後の開拓では貧栄養で超軟弱地盤である高位泥炭地(ミズゴケやスゲの湿原)を含めた大改造が行われ、石狩湿原は瞬く間に消滅することになります。
明治の開拓当初は人力主体の開墾でしたが、ある程度田畑が整備された大正期に入ると、馬は農作業に欠かせない家畜として一家に一頭飼育されるようになります。

朝から晩まで、時には馬のお腹まで埋まる湿田でプラウを曳き、「馬は大変だった」という声を聞きます。
原野の名残である底無しの谷地まなこに落ちて死ぬ馬もあったそうです。農家も朝晩の草刈りなど苦労はあったそうですが、馬は家族同様に扱われ、大切にされていました。馬が病気やケガで死んだ際には手厚く供養され、人がなくなったときと同様に香典が渡され、そのお返しに馬肉が配られました。
こうした時代に、馬を供養し、農作業の安全を祈願する馬頭観音が各地に祀られました。
今回のガイドウォークは、地域で唯一の、しかも偶然に再発見された『馬頭さん』を見に行きました。
その途中…
今回のガイドウォークのテーマは…
宮島沼の原風景と歴史をたどるガイドウォーク Part3、『再発見された馬頭観音?馬と地域のかかわりを探す!』でした。
石狩湿原の開拓は、明治から昭和初期にかけての人馬を主体として開拓と、戦後の機械化された大規模な開拓に大きくわけられます。明治からの開拓は主に河川沿いの肥沃な土地(樹林湿地やヨシ群落)から徐々に進められましたが、戦後の開拓では貧栄養で超軟弱地盤である高位泥炭地(ミズゴケやスゲの湿原)を含めた大改造が行われ、石狩湿原は瞬く間に消滅することになります。
明治の開拓当初は人力主体の開墾でしたが、ある程度田畑が整備された大正期に入ると、馬は農作業に欠かせない家畜として一家に一頭飼育されるようになります。

朝から晩まで、時には馬のお腹まで埋まる湿田でプラウを曳き、「馬は大変だった」という声を聞きます。
原野の名残である底無しの谷地まなこに落ちて死ぬ馬もあったそうです。農家も朝晩の草刈りなど苦労はあったそうですが、馬は家族同様に扱われ、大切にされていました。馬が病気やケガで死んだ際には手厚く供養され、人がなくなったときと同様に香典が渡され、そのお返しに馬肉が配られました。
こうした時代に、馬を供養し、農作業の安全を祈願する馬頭観音が各地に祀られました。
今回のガイドウォークは、地域で唯一の、しかも偶然に再発見された『馬頭さん』を見に行きました。
その途中…