ぶらしっち~初夏の農家ランチ付きガイドウォーク~
今年度最初のぶらしっち。
テーマは「防風林に残る石狩湿原の痕跡を探し、開拓の歴史を紐解く」でした!
今年は北海道命名150周年とのことですが、150年前の宮島沼周辺は手つかずの原野が広がっていました。
石狩川近くには氾濫によって土砂が堆積した自然堤防、樹林湿地やヨシの湿原があり、宮島沼をはさんで東側の内陸部には泥炭が厚く堆積したミズゴケの湿原があったと考えられます。
大正時代の地図を見ると、石狩川沿いの肥沃な土地から開拓され、「大富原野」と呼ばれた内陸部はまだ手つかずの状態だったことがわかります。

「大富原野」の開拓がはじまったのは戦後の昭和31年からで、草花が咲き乱れ、様々な生き物の宝庫だったであろう湿原は瞬く間に消え失せてしまいました。
今回のぶらしっちは、開拓期の原野に排水路を掘ってヤチダモなどを植栽してできた防風林の林床に、今もかろうじて残る湿原の痕跡を探しました。
なお、今回はスペシャルゲストとして美唄の植物にもっとも詳しい(!)新田紀敏さんにいらしていただき、こんな素敵な冊子を作っていただきました!

ハンドブック片手に出発です!
テーマは「防風林に残る石狩湿原の痕跡を探し、開拓の歴史を紐解く」でした!
今年は北海道命名150周年とのことですが、150年前の宮島沼周辺は手つかずの原野が広がっていました。
石狩川近くには氾濫によって土砂が堆積した自然堤防、樹林湿地やヨシの湿原があり、宮島沼をはさんで東側の内陸部には泥炭が厚く堆積したミズゴケの湿原があったと考えられます。
大正時代の地図を見ると、石狩川沿いの肥沃な土地から開拓され、「大富原野」と呼ばれた内陸部はまだ手つかずの状態だったことがわかります。

「大富原野」の開拓がはじまったのは戦後の昭和31年からで、草花が咲き乱れ、様々な生き物の宝庫だったであろう湿原は瞬く間に消え失せてしまいました。
今回のぶらしっちは、開拓期の原野に排水路を掘ってヤチダモなどを植栽してできた防風林の林床に、今もかろうじて残る湿原の痕跡を探しました。
なお、今回はスペシャルゲストとして美唄の植物にもっとも詳しい(!)新田紀敏さんにいらしていただき、こんな素敵な冊子を作っていただきました!

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