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うしやまかつみ(事務局)

Author:うしやまかつみ(事務局)
宮島沼プロジェクトチームの事務局をしています。普段は宮島沼水鳥・湿地センターの中でパソコンと格闘しているか、外で草刈り(夏)か除雪(冬)かマガンを数えて(春と秋)います。地域のみなさまに支えられて宮島沼歴は早15年になりました!

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ぶらしっち~夏の終わりの農家ランチ付きガイドウォーク

地域の歴史と自然の原風景をたどる 『ぶらしっち』。
今回のテーマは 『幻の神社の沼と富樫ビーチを探す』 ガイドウォークでした!

出発地点は地域の大富神社。
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大富神社は、明治26年にできた大曲神社と明治27年にできた富樫神社が、石狩川の築堤工事によって移転を余儀なくされ、昭和36年に合社してできたものです。その際、富樫神社に祀られていた天照大御神を大富神社の代表祭神とすることとしましたが、ご神体は深夜にローソクに火を灯して移動されたとのことです。

今回のテーマである 『神社の沼』は、かつての富樫神社を囲っていた沼。
20170820shrinepond.jpg
「水面に映る光景は他の地で見ることはできなかった」とされ、他地域からも何百人と人が集まった例大祭、相撲、芝居、映画の上映などたくさんの催しがあり、大いににぎわったそうです。
富樫神社を作った富樫伝右エ門さんは秋田県仙北群の出身とのことで、現在の仙北市で天照大御神を祀っている神社を調べてみると、金峰神社に行きつきました。金峰神社は蓮池観音とも呼ばれ、風光明媚な地があったとのことで、富樫伝右エ門さんは遠く北海道のこの地を故郷を見立てたのかもしれません。

そして、これが現在の『神社の沼』。
2017-08-20_10-35-21.jpg
見事に堤防の下敷きになってしまっています。

しかし、堤防を下ると…
2017-08-20_10-39-25.jpg
植生が明らかに周囲とは異なり、湿原状になっています。
盆花にも使われる(エゾ)ミソハギが咲いていて、なにやら厳かな雰囲気も。。

実はここにかつての神社の沼の一部分が埋め立てを逃れて細々と残っているのです。
ただ、その水面は息も絶え絶えに小さくなり、今時期は周囲を背丈を超えるヨシで囲まれていて接近不可能。

そこで、ドローンを使って上空からその様子を観察しました。
2017-08-20_10-50-21.jpg

みんなが見ている画像はこんな感じ。
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古い航空写真を見ると…
20170820oldmap.jpg
南にあるのが宮島沼で、その真北、石狩川の近くに見えるのが「神社の沼」です。沼の大部分は埋め立てられてしまったものの、北側に連結していた小沼がかろうじて残っているのだと思われます。

その北側の石狩川の岸辺に白い砂浜が見えますが、これが 『富樫ビーチ』 と勝手に名付けた、当時の子どもたちの遊び場です。蒸気船があがってくると、子どもたちは「もっこ」を担いでニシンを買いに行ったとも聞きましたので、物流の拠点ともなっていたのかもしれません。

ここも今は道がなく近づくことができませんが、ドローンで見るとこんな感じです。
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石狩川の水位が低いと砂浜が現れるのですが、今日はあいにく水位が高く見えませんでした。

ドローンの出番はここまででしたが、帰還ついでに記念撮影。
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次に向かったのがオオカサスゲの群生地。
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移転合社後の大富神社のしめ縄は、富樫神社の沼の跡地付近で刈り取ったスゲを使っています。鳥居の大きなしめ縄は今は購入したものを使っていますが、本殿や拝殿の細いしめ縄は今でも手作りです。各地の神社でしめ縄が作られなくなっていますが、担い手の不足に加えて、材料となるスゲが確保できなくなったという現状があるようです。大富神社も同様で、昔と比べてスゲがかなり少なくなったと聞きました。

その後、かつて「沿岸道路」とも言われた旧道の痕跡を見て、
2017-08-20_11-12-02.jpg

堤防を歩いて先に進みます。
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樋門の右奥が、やはり石狩川の築堤工事によって移転を余儀なくされた
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富樫小学校の跡地。

当時、全校舎を3つに分断し、3月の堅雪の上を人、馬、ブルドーザで曳いて、約1km離れた現在の農村公園に移動しました。しかし、移転後の富樫小学校も、開校70周年記念式典を最後にまもなく西美唄小学校に統合され、さらに西美唄小学校は2013年に閉校となってしまいました。

最後に富樫小学校を曳いた道をたどってスタート地点に戻ろうかと思いましたが、少し時間があったので近くのお地蔵さんに寄り道。

ちょうど地蔵盆の最中で、お話をうかがうことができました。
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2体のお地蔵さんがいらっしゃいますが、
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右側のお地蔵さんはかつて地域にあった火葬場に隣接してつくられたお地蔵さんで、左側のお地蔵さんは樺戸道路と沿岸道路の交差につくられたお地蔵さん。一方は火葬場が取り壊され、もう一方は築堤工事によって移転が余儀なくされ、この場に移ってきたとのことでした。

今日はあまり歩かなかったのですが、それでもお腹は減るもの。

豪華なランチを今日も美味しくいただきました!
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最後に感想を…

今回のガイドウォークでは、富樫神社をはじめ、築堤工事によって移り変わった地域の生活を知ることができました。

開拓当初、ずぶずぶの湿地帯に鍬を入れ、ブヨや蚊の猛襲に耐え、熊におびえながら開墾し、そうして築いたせっかくの蓄えも度々水害によって失うという厳しい生活の中、神社は地域のみなさんの大きな拠り所だったのかと思います。しかし、石狩川の河川改修が進み、堤防が出来て水害におびえることはなくなり、生活が豊かになり、地域の神社は少し遠い存在となってしまったように感じます。

また、湿地は、開拓の対象である不毛の土地であり、さらには水害をもたらす存在でもありましたが、石狩川は交通の大動脈でしたし、ヨシで屋根を作り、スゲを編んでしめ縄や生活用品を作り、沼で遊び、ジュンサイやエビを食料とするなど、人々は日常的に湿地を利用し、そのめぐみも享受したいたものと思います。ただ、今では湿原は農地に置き換わり、石狩川も堤防ができて人々の生活から切り離され、湿地もまた人々から遠い存在となってしまっています。

今回のガイドウォークを通じて、地域の歴史とかつての生活を知ることは楽しいし、大事なことではありますが、それをいかに将来につなげていくかを考えることも大事だと、ぼんやり考え始めました。手始めに、神社の沼とスゲ群落の保全に着手し、大富神社の鳥居の大きなしめ縄をもう一度作る!なんてどうかなと考えています。

さて、次回のぶらしっちは!
10月15日(日)。テーマは「偶然再発見された馬頭観音!?」として、かつて家族同様に扱われていた馬の文化について紹介できればと考えています。お楽しみに!

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